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サンプル
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人類学的見解
2002 /x/x サンプル1号
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[ごあいさつ]
本項は、生物としてのヒトを観察するという視点で
実際的に人類としての生態を思索するという主旨に
編集されています。
発行者「K」
−−−−−−−−−−−結−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<書物紹介>
[多重人格性障害-その診断と治療-]
(Diagnosis and treatment of multiple personality disorder)
by Frank W. Patnam
訳 安 克昌
中井 久夫
岩崎学術出版社 2000/11/
MPDと通称される、精神障害の一症例を詳細に、その診断の簡便な
マニュアルから、治療の実際、臨床の報告、発生原因、その背景などの
専門的な、しかし平易に書かれた書物。
実際的な著述は、訳者がこの症例についての見識が深い、という証明でもあろう。
特に医師でなくても、読みやすく理解しやすい内容は特筆に値する。
.. しかし、高いのが難点。8000円である。....図書館で借りましょう(笑)
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さて、このMPD、本稿との関連で私が注目したのは、以下の2点。
1)MPDには大抵、子供人格が存在する。
2)MPDの発生原因に、子供時代の虐待等の心傷がある。
通常、ひどく幼稚に見える故「ネオテニー」と揶揄される状況との関連、
また、発生原因に虐待(すなわち、いじめ体験との関連)。
また、MPDの患者は、しばし嘘つきで、自己主張が強く、みえっぱりで
暴力的、粗暴。という点。
これらに昨今の暴力傾向との近似点がある、と思ったのです。
転換性同一性障害と混同しやすいようですが、相違点としては
MPDの場合と異なり、人格そのものには同一性がある(同じ人間だ、との意識が
本人にもあり、周囲からも見分けることができる)という点。ですか。
どちらのケースにしても、背景には「愛のない家庭、幼児期の被虐経験」
からの逃避で人格が分離したり、または転換的に同一性を欠く
つまるところ、こういう精神的な障害が生まれる背景には「愛」のなさ、
が存在するようでありまして。
まあしかし「愛」などといっても「自己愛」ではない愛のことですが、
愛他精神、などというものは社会、家族が無くては存在し得ないものでもあります。
->何ゆえ、そう述べるか、というと、「他者を愛する」という行為は
損得で言えば「自分は損する」行為だからですね。
しかし、自分の家族、共同体、社会の中で相互に「他者を愛する」という行為は
かつての日本ではごくあたりまえに存在していたわけでもありまして.....
これが「損」だとして、住みにくい社会に進んでしまった現在、があるわけですね。
実に、「損得勘定」は、ヒトの生態を脅かす存在であったりもするわけです。
自己愛型パーソナリティの持ち主は、根本から「愛」を渇望していますから、
他者を愛しませんし、また他者からの思いやりを理解できません。
(この現象は、以前もお話した通り、「幼児期の満たされない愛の記憶からの
反発、即ち親権者への攻撃」行動を無意識に行っている->退行現象、幼稚、
...これの度合いが異なったものが「多重人格の中に必ず存在する幼児人格」。
必ず存在する、というところがキー・ポイントですね。 )
故に、こういったヒトたちに「愛」を説いたり、思いやっても無駄ですから、
対策は困難で、むしろ隔離した方が結果は良くなる場合が多いですね。
まあ、この状況の個体は、心理的には「幼児」になっているので
論理的に説得するのは無駄、です。
このような個体群について「ネオテニー」と揶揄されるのではない、と思います。
お金欲しさに、夫に過重労働をさせ、保険金をせしめて喜ぶ妻、とか。
支配欲に駆られて、公私混同が絶えないどっかのエライひと、とか。
周囲を無視し、自分達だけ楽しければ、と公衆環境で大騒ぎする、とか。
...これは、言ってしまえば昔でいう「不良」の数が増えた。というだけのこと
であるようにも思えますね。
かつて、「箸に棒にかからない」といわれたような「不良」が増えて、
多数派になった、という感じですか。ね。
当時と異なり、最近の不良は一見普通そうで、裏表があることも特徴のひとつで、
むしろ昔でいう「不良っぽい」格好の連中のほうが健康的であることもまた
興味深い事実でありますね。
これすなわち、「多重的」であるようでして(笑)
いや、冗談ですけれど。
問題のある人格の背景には、やはり「幼児期の被虐経験」が存在している、
というあたり、本稿との関連は深いように思えました、
このMPDという現象には。
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人類学的見解
2002 /x/x サンプル2号
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[ごあいさつ]
本項は、生物としてのヒトを観察するという視点で
実際的に人類としての生態を思索するという主旨に
編集されています。
発行者「K」
−−−−−−−−−−−結−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<書物紹介>
<河合隼雄のカウンセリング講座> その3
創元社 2000/8
<カウンセリング・マインド>
昨今のように情報が氾濫すると、周囲のヒトについて診断を下したりする
という困った傾向の方が増えている、と講演で嘆かれています。
カウンセラーは、診断を下すのが目的ではなく、その対象のこころ、
生活の基盤にまで立ち返って、そのヒトの人生について考慮しなくては
ならないから、とても根気のいる、人間くさい作業なのですね。
逆に、こうした半可通がこころに悩みを持つ方を精神分析したりする事が
症状の悪化にもつながるので、危ない行為だ、と警鐘を。
(それはそうですね、鬱っぽいヒトを励ましたり叱咤したら,,ね。
「オマエはダメだ、病気だから」なんて言おうものなら..^^;)
(私、思うのですが、カウンセラーでなくてもカウンセリング・マインドの
持ち主というのは、かつては横丁のオバサンとかにもひとりくらいはいた
みたいに思うのです。
「思いやり、慈しみ」みたいな。“おふくろ”シリーズの浜木綿子さんみたいな
....おっと(笑)
でも、いなくなっちゃったのは、やはり環境の変化でしょうね。
生活の基盤の。)
<行動療法と、カウンセリング>
行動療法というのは、とりあえず短期間に成果が見られる。
学校や会社にいけなかった方がとりあえずは通えるようにはなる。
ので、昨今はカウンセリングよりも人気があるそうです。
しかし、それで「直った」と言えるか?と疑問を先生は投げかけておられます。
(直る、とは言わずに「寛解」という用語で表現するそうですが、
ヴィルス性肝炎なんかもこういう表現しますね。
これ、とりあえずは大丈夫、という事なのですが..。
筆者の近傍にも、こういう方を見かけることありますが、
やはり、発症以前とは異なった人格になってしまっていたり...。
とりあえずは普通に生活できるものの、些細なきっかけで異常行動にでたり、と
どうも、本当に直っているのではなく、犬の行動訓練のように躾ただけ、
こんな実例からは、行動療法にはすこし疑問を感じざるを得ないところ、ですね)
カウンセリングは、時間はかかるのですが心を癒す、という側面もあり、
根源からの治療となりうるのです、ね。
(括弧内筆者記。本項との関連について展開を試みた。)
<嫌がらせ行為を行う大人の存在..>
社会人であるにもかかわらず、平然と社会を壊すような行為を続けると
いうのは幼稚であるとは言えないでしょうか?
こうした人達は法によって加護されているにもかかわらず、
自分は法を破るという意味でも幼稚な行動であるといえますね。
子供たち、バンダリズムに走る子供たちがみな一様に大人を避ける傾向があるのは、
こうした大人達、親達が子供のような弱者への配慮を忘れ、おとな社会の理屈で
弱いものに容赦なく攻撃を行った結果である可能性がある
からですね。
これまで、お話してきた幼児、少年たちが暴力的になっていく背景にはどうも
こうした社会への参加という環境の変化が見られるようです。
それは、幼稚園への入園であったり、学校への入学であったり。
おそらくは、こうした組織にいじめが存在し、それまで母親の加護の元
好き放題にとどめなくエゴを放出していた子供のエゴが激突し、そこで
狡猾な、大人の真似をするものたちがいじめ社会を作り、誰かを差別する、と。
何のことはない、日本の大人たちの大多数だしていることと同じです。
しかし、こうした大人達も、恐らくは被害者だったのではないか?
と、今回の状況からは思えます。
世代的には今回の対象は大東亜戦争後の生まれであり、
そのあたりの世代影響としては明らかな文化的混沌、明快な
父権の提示が無い事、などが考慮すべき状況としてはあります。
しかし、ともあれ、こういう人物の存在が社会を住みにくくしているのは
否めないようですし、
これが子供のバンダリズム行動の要因の一つである事もおそらくは事実であろう、
と考えられます。
ネオテニーと揶揄される状況、実はかなり問題の根は深いようですね。
<退行現象>
精神的な衝撃を受けた後、心が混乱して一時的に幼児のような
振る舞いを見せること、を指します。
<逸脱>
しかし、こうしたいじめ等を行う人物というのは、
自ら無間地獄への道を歩いているようなものでして。
まあ、際限なく攻撃する、というのは言いにくいですが、
習慣化する種の快楽なわけです。
もともとヒトがもっている生得的な性質だからなのですが、
社会においてこれを抑止する機構が無い場合、
そのような個体は常の攻撃性を行使することになります。
前記のように、これは知性の幼稚化を招き、
これをネオテニーと表現される場合もありますが、
これは、いってしまえば脳が低次元な快楽に支配されている、という状態であり、
あたかも麻薬中毒のようにも見えます。
攻撃が意味する快楽は、流行の表記をすればドパミン・ノルアドレナリンなどの
作用に似ているようで、
感覚としては、すっきり。しびれる。動機、などの感じに近いようでして、
こうした習慣がついた場合、最終的には逸脱に至ると思われます。
それゆえ、逸脱寸前のヒトたちがぎりぎりで低次元な争いを繰り返す、という..
[幼稚]ですね(笑)
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人類学的見解
2002 /x/x サンプル2号
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[ごあいさつ]
本項は、生物としてのヒトを観察するという視点で
実際的に人類としての生態を思索するという主旨に
編集されています。
発行者「K」
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<書物紹介>
[考える脳、考えない脳]
信原幸弘著 講談社 2000/10
「心と脳」といわれる状況についての構造論的な分析を試みる、という主旨。
例えば、思考のメカニズム、という観点から認識、判断、行動というプロセス
を理工系っぽく要素分解する。
全てにおいて単純化モデルを提示する、というグラフィカルな表現は理解が
容易であるし、これはデカルティズム的方法でもあるように思える。
計算主義、コネクティズム、直観、フレーム処理、スキーマといった具合に
「心」という状況について、それが起きている構造、動作のメカニズムを
説明することで一元的に心の存在を理解させよう、というユニークさが
面白い。
そのユニークさは、以下のようである。
コネクショニズムとは、記憶のメカニズムであり、ニューロンの接続に
よって記憶を行い、その重みつけ(どの記憶を優先するか、という順位)
によって「心」は選択を行い、そして、そのような判断を総合的に
並列処理を行うことで「状況判断」すなわち「心の動き」という
情動が表れる。..というような。
面白い、のですが、まあ構造を理解しても心の実態については
個々の判断「重みつけ」の傾向をデータとして知らなければならず、
結果的に実際のヒトの「こころの動き」に対応するには
より、心理学的であるとか、精神分析学的な知識が膨大に必要だ、
という事に変わりはないのですが。
しかし、こうした構造を知ることは無駄ではない、とは思えるし、
それを一般に理解しやすく書物を著す、という姿勢は高く評価するべき
ではないか、と思えます。
余談ですが、著者の経歴を見ると「東京大学大学院博士課程単位取得退学、
現、同大学院総合文化研究科助教授」とある..^^;。
単位とって、退学するようなユニークな方らしい本だな、と思いマシタ。
(モッタイナイね。)(笑)
<虐待報道に思う>
さて、これまでにお話してきたようね異常な人たちの人格形成に役立って?いたのは
おそらくは親権者、周囲の大人たちの暴行、愛のなさ、などとの関連が考えられ
ますね。
まあ、他には...
1)後天的に、現代の暴力肯定の傾向に流されている。
可能性は低い。実例があるとすると、その人物は著しく自己抑制が弱い、という
ことになってしまい、どちらかというと精神科領域の問題が潜在する可能性がある。
2)環境ホルモンによる攻撃性昂進
これも可能性は低いでしょうね。もし、抑制を破壊するほどの効力が環境ホルモンに
あるのであれば、同様の環境に生息する個体は皆、同様の生態となるはずである。
異常な行動を取る彼らは周囲と比較して「異常」なのであり、つまりは周囲との
行動形態の差異が存在する。(すなわち、化学的環境面からの影響は少ないはず。)
行動を良く観察すると、攻撃すべき状況を「選択」している
(自転車で暴走する少年では、ダンプカーには突進しない、企業内いじめでは
既得権の有るものには攻撃しない、むしろ媚びてタカル^^;とか。また、成人式で
暴れた若者も、裁判沙汰になりそうだと反省しているポーズを見せる、とか。)
つまりは攻撃性を制御しているのであり、環境ホルモンによる異常とは考えにくい。
とかが考えられたりもしますが....。
ヒトの人格が心底歪む、というのは私見ですが、無意識下の原体験が影響している
様に思えてならないのです。
例えば、執拗に嫌がらせをするような人物の過去、家庭環境を調査すると、
大抵差別か暴力の匂いがするもので(先のAさんの周囲では貧困、差別、暴力と
いった貧しい環境はその異常行動を示す者の背後に必ず存在していた、とか。)
まあ、あたりまえですが、満たされている者は周囲を攻撃したりはしないものです。
その意味では彼等も被害者なので、哀れな存在である、といえます。
(だからといって、許される行動ではありませんが。)
そんな前提から<虐待>の報道を見ると、心が寒くなると同時に、
疑問がふと湧いてきます。
「はて?救うことができるのか?」と。
仮に被虐待児の生命を救ったところで、彼等の心傷は救い難く、また
親権者の心が歪んでいるわけですから、救われることはまずないでしょうし、
ある種、死に至ったというのは、彼等にはむしろ幸せだったのではないか、と
そんな妄想すら覚えたりもしました。
生きながらえて、自らの心の傷、原初からの叫びに心が歪み、人を傷つけながら
生息するような個体はむしろ、ヒト種全体からの視点で存在しない方がよいのですし、
彼等の心を癒してあげることは困難ですから、彼等はむしろそこで死した方が、と。
ある日のこと。
私は、ある団地の人気の少ない公園で、僧侶の方と世間話(笑)をしていました。
と、3歳くらいの男の子がはだしにされ、母親が目付き険しく
その坊やの尻を叩いている、という光景に出くわしました。
一見してそれとわかる、虐待の様相。
私はすぐさまその母親を怒鳴り、制止を試みました。
その母親は、怒りの矛先を私に向け、ヒステリックに喚きはじめました。
明らかに、怒りの根源はその母親の内部にあり、真に彼女が攻撃するべき対象は
その、心の傷を作った者であり、彼女自身、それに気づいていないので
際限なく周囲を攻撃し続けるも満たされず苦しみもがく、という
よくある行動異常の一例のようでした。
その、宗教家の方は、子供を虐待していた母親を見、祈りを捧げました。
その、母子を見る眼差しは、私には慈悲を意味するように思えました。
「.........。」
なにを思ったか、その母親は怒りさめやらずも、子の手を引き、去ってゆきました。
....ヒトの未来に、幸多かれ。
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