はじめに
第1号のメイン記事のテーマを選ぶに当たっていろいろ考えたが、今おそらくもっとも概観の必要とされるテーマであり、同時にこのテーマについてつっこんで書かれた文書がほとんどないという理由から、チャネリング現象を選んだ。
チャネリングは、筆者が長年、個人的に興味を持ち、多くの職業チャネラーや霊媒と接し、チャネリングに関する訓練なども経験して、仕事としても実際に深い関わりを持ってきた分野である。ここではそれらの経験を背景にしながら、なお健全な懐疑主義的視点をも置き去りにすることなく、チャネリング現象を分析しつつ概観を進めていきたい。
チャネリングとは
読者が近年のニューエイジ運動や
日本で言う「精神世界系」の分野に接したことがなければ、「チャネリングってなに?」というのが第一の反応だろう。チャネリング(channeling)という言葉が一般的になる以前は、チャネリングをする人は「霊媒(medium)」と呼ばれていた。今でも英語の辞書には「channeler=霊媒」と書いてある。
広辞苑によれば、「霊媒=神霊や死者の霊と意思を通じうる媒介者。巫女・口寄せの類」「霊媒術=霊媒の媒介によって死者と生者とが意思を通じあう術。かみおろし」とある。英語のmediumとは、もともと媒介という意味、channelは経路となって流すという意味だ。
70年代以前、チャネリングがまだ
霊媒術と呼ばれていた頃には、媒介されるのは「死者の霊」や「神(々)」だった。時代を経て、チャネリングの外観はずいぶん変化した。しかしなおチャネリングとは基本的に「仲介」、異世界(「目に見えない世界」)の存在と、肉体を持った人間を仲介する技術である。そしてそれは、歴史の遙か過去までさかのぼって存在していた。
現代のチャネリングとは、そのような古代からの職業ないし専門技術が、時代の変遷を経て、簡素化、簡易化されてきたものだとと言うことができる。
チャネリングの歴史
チャネリングとは現代(1970年代以降)の名称だが、その原型は、霊媒術や神懸かり、口寄せ等と呼ばれた専門技術であり、さらには古代の巫女や司祭、預言者等によるお告げや神託の制度にまでその源流をさかのぼることができる。
神託、つまり「神」と見なされる存在からお告げを受け取る制度は、古代シュメール、エジプトをはじめ、バビロニア、アッシリア、ペルシャ、ユダヤを含む中近東、古代ギリシャ、インド、チベット、中国、日本を含むアジア、シベリア、そしてマヤ、アステカ、ホピ他の先住部族を含む南北アメリカに到るまで、世界中の古文明圏に存在していた。
お告げを受け取るのは通常、選ばれ、トランス(変成意識)状態に入るため長期の訓練を経た巫女や司祭、神官で、
「神」や人間以外の智恵ある存在からメッセージを受け取ったり、人々の質問に答える。お告げを受ける役割の者以外に、口を通して語っているのが本当に求められている存在であるかを見分ける役目の審神者や、お告げを解釈する神官などがいる場合もあった。
神託としてもっとも有名なのは、
古代ギリシャのパルナッソス山麓にあったデルポイの神殿で、アポローン神からの神託を受け取った巫女たちだ。デルポイの神託は、それなくしてはギリシャの歴史について語ることができないほど、重要な役割を果たした。ちなみにアポローンに取って代わられる以前、パルナッソスはもともと地母神ガイアの聖所だった。
デルポイの神託は、日常生活のあらゆる問題、病気の癒しから、政治や戦争など国の治世に関わる問題に到るまで求められた。依頼者は神殿の奥の神託所で、男性の神官を通してピュテイアとよばれる巫女に質問をしてもらい、巫女は神がかりの状態でアポローン神のお告げを語る。
神託は詩のような韻文だったとされ、神官が巫女の言葉を韻文に整えて伝えたという説とお告げ自体が韻文だったとする説がある。近代のチャネリングに接したことのある人なら、巫女が韻文調で
語ったこともあったとだろう思う。チャネリングには独特のリズミカルな抑揚があり、これは多くのトランス状態のシャーマンの発声にも観察される。
デルポイ神託と類似の形式は、シベリアのシャーマンのお告げにも見られる。仏教以前のチベット(ボン教)にも神託の制度があり、高位の司祭ないし巫女が、守護神に乗り移られてお告げを下すしきたりがあった。現在チベット仏教に残る託宣のしきたりは、この影響と考えられる。
日本の邪馬台国の卑弥呼も例として挙げることができ、韓国や日本の沖縄には、今でも神懸かりになった巫女による
口寄せの風習がある。なお日本(本州)では、宮廷や神社に仕えて神主の下で祭典の奉仕や神楽を行う巫女と、民間にあって神霊や死霊の口寄せなどを行う呪術祈祷師としての巫女の二つの系統がある。
預言(予言ではない)は文字通り「言葉を預かる」ということで、チャネリングの定義にそのまま当てはまる。
預言はユダヤ・キリスト教やイスラム教のような啓示宗教で、神から預けられた言葉を人々に伝えることで、その土壌はもっぱら一神教の支配する中近東になる。預言者の例としては古代ユダヤのエリヤ、エゼキエル、エノク、モーゼなど旧約や偽典・外典の預言者たちから、荒野
のヨハネ、ナザレのイエス、ヨハネの黙示録の筆者、マホメットに到るまで挙げられる。
歴史的に、宗教の生まれたところには、チャネリング現象があったといってよい。なぜなら、教典や聖典はほとんどつねに「神」ないしその使いからのメッセージを書きとめたものとして、まとめられ広められたからだ。
だが歴史が経つにつれ、一つの民族宗教を形成するようなパワーを持ったチャネリングは少なくなり、確立された宗教、たとえばキリスト教の中では、神やその使い(「天使」)との直接的なコミュニケーションをもったと主張する人間は「異端」として迫害されるようにさえなる。
もっとも有名な例は「大天使ミカエルのお告げを受けた」と主張したジャンヌ・ダルクだろう。
貧しく教育もない出自の十代の少女でありながら、接する人々の心を強く動かし、オルレアンの戦いの勝敗を決した彼女の背後には、明らかに一人の少女の人間的能力を超えた力があったように見える。しかし「大天使ミカエルから直接、神のメッセージを受けた」とい主張を教会は異端とし、審問の結果、彼女は火刑に処された。
ちなみに宗教裁判官はこの審問で、ジャンヌの主張が、天使を描いた絵画に触発された一種の心理的錯乱であったことを論証しようとした。
ジャンヌ・ダルクの例には、今でもチャネリング現象が直面するさまざまなテーマが含まれている。
ユダヤ・キリスト教文化圏においては、体制化・権威化された宗教の弾圧の中で、霊媒ないしチャネリング行為は、歴史の裏に埋もれることになっていった。それが再び日の目を見るのは、18世紀半ば、心霊主義運動によって「霊媒(medium)」という名称が生み出された頃だ。
他方、それ以外の多くの宗教・文化圏では、神託やお告げとしてのチャネリングは比較的その原型に近い形で受け継がれ、今も生きている。日本では東北のイタコや沖縄のユタがこれに当たるが、とくに本州では、社会全体の無差別な西洋化によって、人々の日常生活に果たす役割は基本的に失われている。
他方で、19から20世紀の変わり目に前後して、「筆先」と呼ばれる自動筆記現象によってチャネリングされた文献をもとに新興宗教が創設され、しばらくの間影響力を持つ時期があった。
西洋文化圏では、いったん歴史の裏に沈んだチャネリングが、スピリチュアリズム(心霊主義運動)の台頭とともに、息を吹き返す。
スピリチュアリズムは「人間は肉体と霊魂とからなり、肉体が消滅しても霊は生き続け、生きた人間と交渉をもつことができる」という信仰で、とくに19世紀イギリスを中心として、アメリカにも広まった。霊媒による交霊会を開き、そこから霊媒を組織的に訓練することを始め、その伝統と活動は今もスピリチュアリスト教会によって続けられている。
同じ頃に平行して、神智学が姿を現す。創始者のブラヴァツキー夫人は「チベットの大師」と呼ぶ存在などからのテレパシーによる通信と称して壮大かつ膨大な執筆物を残し、欧米の多くの思想家に影響を与えた。
当初イギリスを中心に、インドを拠点に加えて発展したその流れは、アメリカにも及び、夫人の後に現れたアリス・ベイリーもまた膨大なチャネリング文書を残した。ベイリーの教えに基づいて創設されたアルカナ・スクールは、今もニューヨークを拠点に活動を続けている。
さらに時代を下り、20世紀から現在にかけて影響を残しているチャネラーには、エドガー・ケイシー(膨大な量の個人リーディングと治療法や古代史)ジェーン・ロバーツ(セツ文書)、ヘレン・シューマン(「コース・イン・ミラクル」)、エヴァ・ピエラコス(パスワーク・レクチャー)などがいる。
また今も現役で活動を続けているチャネラーには、パット・ロドガスト(「エマニュエルの書」)、ジャック・パーセル(ラザリス)、ドロシー・マックリーン(フィンドホーン)、ケン・キャリー(「サード・ミレニアム」)、バーバラ・マーシニアック(「プレアデス+」)などがいる。
本人は「チャネリングではなくインタープリテーション(翻訳)である」と主張しているが、フィンドホーンの流れを汲んで、実質的にチャネリングと同じことをしているミシェル・スモール・ライト(ペレランドラ)のような人もいる。
チャネリングというよりも古典的な霊媒に近い形で仕事をし、その仕事のレベルの高さとともに、マスコミを通して広い影響力を持つという意味では、シルヴィア・ブラウン、ジョン・エドワーズ、ジェームズ・ヴァン・プラーグの3人は注目に値する。
チャネリングを文書にして発表してはいないのだが、古典的なスピリチュアリスト式の霊媒として訓練を受け、30年近く現役で質の高いチャネリングを行っているという点ではロザリン・ブリエールの名は挙げるに価する。近年の日本での例としては、一時期、大変興味深い仕事をしていた北川恵子(アリオーン文書)あたりを挙げておく。
チャネリングの形とメッセージの主
チャネリングの基本定義は先に挙げたように、「見えない世界ないし存在」を仲介し、肉体を持った人間とのコミュニケーションを可能にするということだが、これが行われる形式自体には、いろいろな形がある。
もっともポピュラーなのは、チャネラーがトランスに入り、「存在」が直接チャネラーの体に入って、その声を借りて話をするものだ。これは霊媒術、トランス・チャネリングなどと呼ばれる。チャネリングと言えばこの形を考える人が多いだろう。先に挙げたチャネラーの中でもこの形式をとる人が多い。
他方、ジェーン・ロバーツは直接のトランス・チャネリングを行うようになる前に、プランシェットとウィージャ板を使ってのコミュニケーション、エヴァ・ピエラコスは自動筆記からスタートしている。ヘレン・シューマンやケン・キャリーは、ブラヴァツキー夫人に近い口述筆記形式である。
また、トランス・チャネリングでも、エドガー・ケイシーのように完全に深い催眠状態に入って行う場合から、チャネラーの選択で比較的容易にトランス状態と普通の状態を切り替えられる場合もあり、またトランスに入ることなく、聞こえる声を取り次ぐようにして言葉にして伝えたり筆記する形式もある。
さらに、過去にはもっぱら「神」「神のお使い/天使」「神霊」そして「死者の霊」に限られていたメッセージの送り手も、現代に入って非常なヴァリエーションが出てきている。
ポピュラーなのは「スピリチュアル・ガイド」(「ガイド」と省略されることも多い。昔は「守護霊」「支配霊」等
と呼ばれていた)「高い自己」「未来の自己」「(様々な星系の)宇宙人」「未来の地球人」「精霊/自然霊/デーヴァ/ネイチャースピリット」など。「イルカ」や(真偽のほどはともかく)いろいろな過去の著名人というのもある。
チャネリング現象の共通点
さて、上記に挙げたような一定レベルの活動を長期間にわたって行い、広い影響力を持ったチャネラーとそのメッセージの内容に関しては、だいたい以下のような共通点がある。
・メッセージの送り手とされる存在は、固有の一貫したパーソナリティ(人格、個性)を持つ。トランス・チャネリングの場合には、声の質がチャネラーのそれと違ったり、言葉遣いや語彙などが異なることもよくある。
・メッセージの送り手とされる存在は、しばしばチャネラーより優れた言語能力やパブリック・スピーキングの能力を示す。語彙が多く、言葉遣いの選択も素早く適切で、豊かなユーモアのセンスが伴う場合が多い。
・語られる言葉はしばしば独特のリズム感と抑揚を持ち、時に複雑な内容がまったくとぎれることなく、流れるようなテンポで語られる。口述筆記や自動書記の場合、前もっての草稿なしに、非常に素早く(しばしば書きとめる手が追いつかないスピードで)与えられる。
自動書記の場合は、普通の人間には可能ではないようなスピードで手が動く。また筆記作業を自由に中断したり、再開したりできる。再開した際には、前の部分を読み返すことなく、そのまま続きの口述や筆記が再開される。
・メッセージに現される視点や概念、考え方、知識、情報などは、しばしばチャネラー個人の知識や視点を超えている。またテレパシー、透視、予知など、チャネラー本人にはない能力を示すこともある。
・他方で、チャネラー個人の性格や態度、文化背景、偏見などが、チャネリングの内容や言葉遣いに影響を与える。(この度合いが強すぎると、チャネリングの内容が不透明になる。)
・メッセージやガイダンスの内容
は、人間として幸せに生きるには、健康に生きるには、精神性を高めるためにはといったテーマ、愛、人類への奉仕、より高い世界観と価値観などについて、肯定的な視点から語られる。特定のグループや個人にアドヴァイスを与えたり、啓発したり、価値観を育てたり、導こうと試みる場合もある。
・メッセージの内容は、それが語られる場所、設定、タイミング、グループや個人のニーズに合わせて選ばれるが、同時に「存在」側にも独自の関心や動機があって、チャネラーやグループにそのアジェンダに沿った影響を与えようとすることもある。
・歴史的には、預言や神託の現象が増えたのは、しばしば、いわゆる社会や歴史の危機的状況で、人類全体や民族、グループなどにとって、必要な選択や判断を下すのに適切な情報や権威が人々の間に
欠如していた時期である。このような時期には、「神」や「高次の存在」から、権威と力のある形でメッセージが下された。
現代も人類にとって深刻な危機状態にあることは疑いないが、チャネリングを通して語る存在のスタンスは、絶対的な権威としてではなく、教師や賢者的立場から後進を導こうとする態度であることが圧倒的に多い。
だが、上記に当てはまらない例も相当数ある。
例えば、「人類の終わりが近い」「○○○しなければ救われない」等、人心を脅かすようなメッセージを発して、人々を特定の目的に動かそうとする場合などだ。
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しかしこれは「すべての自称チャネラーが実際にチャネリングを行っているのか」「メッセージの送り手の正体はチャネラーや送り手が主張する通りのものなのか」「それが本当かどうかはどうやって確かめるのか」といった、チャネリング現象の問題点とも関係してくる。
チャネリング現象の真偽
チャネリングとその源流である霊媒現象について語るためには、受け入れなければならない前提がある。「普通の肉体を持った人間には見えない別の世界と、そこに住む知的存在が存在していること」、「これらの存在が何らかの方法で、肉体を持ったチャネラーないし霊媒に語りかけ、彼らを通して人々に語りかけることが可能である」の二点だ。
この二点について議論、検証する
ことは、またの機会に譲らねばならない。実際のところ、18世紀の神霊主義運動以来、ずっと議論が続けられ、信じる側にとってはすでに証拠は山積みであり、信じない人間にとってはすべてがでっち上げという、この両極端の立場を、「科学的証明」を通して統合することはいまだ可能になっていない。
この二つの前提を受け入れない場合には、チャネリングに関する説明は以下のいずれかになる。
(1)チャネラーは統合失調(精神科用語で以前は「精神分裂病」と称されていた)または多重人格(MPD)であり、送られるメッセージは、分裂した自己の一部や人格の一部から来るものである(乖離性人格障害説)
(2)メッセージや固有の人格と見えるものは、単に抑圧された深層意識の表現である(フロイト説)
(3)メッセージの送り手は、影を含む自己の一部か、または集合意識の中のアーキタイプ(元型)である(ユング説)。メッセージの送り手を「高い自己(ハイアーセルフ)」とする精神世界で一般的な視点は、ユング系の甘口ヴァリエーションと分類できるか。
(1)については、例えば精神科
でこのような診断を受けるには、幻聴、妄想、作為体験(自分の考えや行動が他人により操られていると感じる)、思考への影響体験(他人の考えが自分の思考の中に入ってくると感じる)などがあげられる。これらの症状は、チャネラー側の経験をどう解釈するかによっては、当てはまると解釈されうる部分がある。
しかし統合失調の場合には、周囲
から見ても明らかな病的症状が伴う。話の内容が支離滅裂、表情が硬く感情が乏しく、周囲に無関心、あるいはまわりとまったく関係ない状況での激しく感情的に興奮、ひとりごとやそら笑い、人と心を通じることができない共感能力の欠如などだ。精神科の診察対象となるのは、そもそもこれらの病的症状が理由だ。
しかし、先に挙げたような、広く認められる形で仕事をしているチャネラーたちの場合、社会での適応性に優れ、人間としても健康で、よく統合され、暖かみや繊細な共感力を感じさせるなど、統合失調の患者とはまったく異なり、むしろ人間としては一般的な平均値よりは健康であるように見える。
他方、これらの人格的な統合性の
高いチャネラーと、明らかな統合失調の間に位置するようなケースもあり、あるいは「霊的経験」をきっかけに、時間が経つに連れて次第に統合失調的状態に移行していくケースもある。この幅が、ある意味で、チャネリング現象やチャネラーについて、わかりやすい理論をまとめることが困難な理由でもある。
多重人格仮説についても、解釈によっては当てはまると見なすことが可能な部分もある。
多重人格障害では、患者は複数の人格を持ち、それが交代で現れる。主人格(「本人」)は通常、幼い頃に極度の心的外傷(トラウマ)を経験しており、意志が弱く、社会での適応性が低い。また本人以外の交代人格が自分にとって代わるのをコントロールできず、また交代されている間に起きたことを思い出せない。
本人以外の人格が取って代わり、
コミュニケーションを行うという点では類似しているが、「交代人格の交代をコントロールできない」は当てはまらない。また多重人格の場合に普通起きる、本人より幼い(場合によっては幼児の)人格が現れるということは、亡くなった幼い子供を口寄せするといったような場合を除けば、チャネリングでは基本的にない。
(3)のフロイト説と(4)のユング説に関しては、明らかにこのようなことが起きていると感じさせ、そう考える
のがもっとも筋の通るシンプルな説明な場合がある。またチャネラーの人格、生活、メッセージの内容などを分析していくと、同一のチャネラーでも明らかにこれに当てはまると感じられる場合と、それでは説明できない場合が交互することがある。
つまり、チャネリング現象の一部については、深層心理理論での説明が成り立つと考えられるケースがかなりの数、ある。とりわけ、長期的な心理分析、心理療法や、人格の鍛錬を要する訓練などを経ておらず、個人のレベルで行われるチャネリングには、当てはまると思われるケースが多い。
他方、チャネリング現象と精神障害の問題を考えていくと、精神障害の定義そのものがどこまで有効なのかという疑問にも突き当たる。
一部では明らかに深刻な「乖離性障害」の症状を示しつつ(目に見えない存在をチャネリングする=「幻聴」「幻覚」「妄想」)、同時に人間として高い統合性、機能性を示し、社会的にも人間関係面でも健全に生きていける人間、そして他者を動かすような深い精神性や共感力、人間愛を表現する人間を、どう分類するのか。
(『精神医学ハンドブック』では、イタコやシャーマンはあっさりと乖離性障害の例として分類されているが。)
だが、このような人々から与えられるメッセージが、深く我々を動かし、動機付け、啓発する力を持つ時、そしてある意味では人々がよりよく生きていくための指針を示すことができる時、それを単なる精神障害の一種として片づけてしまうことができるのか。
以上のような内因(病理)説に対し、外因説、つまり実際にチャネラー外部の存在からメッセージが来ると考える視点がある。チャネリング現象の前提を信じる人はこの説は自然だが、懐疑的な人でも科学本来の方法論、「観察される現象が、矛盾無くもっともシンプルに説明できる仮説がもっとも正しい」という考え方から、この説を検討する必要がある。
他方で、前提を信じる人にとっても、外的存在からメッセージを受け取ることが可能であると信じることと、個々のチャネラーについてそれが事実であるか(うるさいことを言えば、個々のメッセージについてそれが事実であるかどうか)どうかは、別の問題であるということは、考慮されなければならない。
つまり、外的存在からメッセージを受け取ることが可能だとしても、すべての「自分は○○○をチャネリングしている」という主張は、そのまま頭から信じることはできず、受け取る側の賢明な判断を必要とするという意味だ。
このように、チャネリング現象についてはいまだ多くの未知数が残る。そのような現況で、我々はどのような態度でチャネラーやチャネリングに接するのがよいのだろう。西洋化された技術文明圏、とりわけ現代の日本では、人々は神聖なるものとのコンタクトに飢えている。
しかしキリスト教や伝統的仏教のような古典宗教に足を踏み入れる決意はつかず、その狭間で新興宗教にはまる人は多い。しかしその新興宗教にも足を踏み入れかねて、さまよいながら内面の空しさ、生きることへの不安感を抱えている人はさらに多い。
そのような中で、宗教の限界に縛られることなく、物質文化の壁を超える手だてを与えてくれるように見えるチャネリングという現象は、非常に魅力的なものに映るだろう。しかし、その魅力ゆえにまた、それが乱用される可能性も高い。
その中で、筆者の個人的見解は、以下に尽きる。すなわち「樹木はなる実によって判断せよ」。
社会の中におけるチャネリング現象そのものの意味は、以下のような枠組みで問われるべきだ。それが、社会や人類がより成長し、互いを思いやり、尊重し、平和に、協調して生きていくために、貢献するものであるかどうか。
個人として、チャネリングのメッセージに耳を傾けるかどうかは、以下の条件に照らして問われるべきだ。
そのチャネラーのメッセージは、自分が人間としてよりよく、充実して生きていくための助けとなってくれるか。自分が人間として成長し、自立し、あらゆる面でより自由に生きていく支えとなるか(チャネラーや「存在」に対する依存性を育てたり、絶対的従属を求めるようなものではないこと)。
高く広い視野を与え、精神性の面で自分を満たしてくれると同時に、肉体を持つ人間としても、他者との関わりにおいて生きている社会的存在としても、責任をもって生きていくことの大切さを感じさせくれるか。チャネラー自身、自分のメッセージを生きているように感じられるか。
このような問いを、繰り返し繰り返し問い続けていくことが、チャネラーやチャネリング現象、そしてその個人版であるガイダンス・セッションとつき合っていくためには、欠かせない。
チャネリングは、その原点として、個人の人間と、聖なる存在を直接的に結びつける。1980年代にそれがブーム化したのは、それこそ経済と精神性のバブル期にあって、人々が「お金さえ払えば、お手軽に、自分は何もしないで」そのような結びつきを得られる方法としてチャネリングを見なしたということが大きい。
バブルははじけた。日本やアメリカの経済だけではなく、精神世界でも。
だが、聖なる存在や智恵ある導き手と直接触れたい、言葉を交わしたいという人間の根元的な欲求はなくならない。
この渇望、憧憬のある限り、霊媒・チャネラーの役割は残るだろう。やがてすべての人が自力で、自分の人格を超える枠組みから智恵をくみ出す方法を身につける時まで、あるいは「向こう側の世界」との壁が取り払われ、自由にコミュニケーションが行われる時が来るまで。
そして向こう側の世界とは、より大きな自己を意味するものであるかもしれず、実際の霊の世界を意味するかもしれない。
動物神話(動物のアーキタイプとアニマル・マジック入門)
地球上のすべての生き物は自然の魂の表現、ガイアという一つの魂の異なる顔。いにしえのシャーマンたちは、様々な植物や動物により表象される自然の多様な性質、要素について理解し、
その力を自らの内に呼び起こす方法を体得していました。神話や民話、魔術の物語に描かれる動物たちには、このような性質が象徴的に表現されています。
このコラムでは、動物学的な観察知識と、神話や民話を通して語られる動物の姿をつき合わせながら、自然の生命の象徴的意味を読みとり、アーキタイプを理解することを学びます。
イルカ---海に住む自由な兄弟
動物種としてのイルカ
学名 哺乳類ハクジラ亜目マイルカ科
動物学的には、実はイルカとクジラの間に明確な区別の方法はありません。
日本語のイルカ、クジラはそれぞれおおざっぱにdolphin、whaleですが、ぴったりとは一致しません。例えばシロイルカは英語ではBeluga whaleと「クジラ」扱いです。大きいのがクジラで
小さいのがイルカかと言えば、カズハゴンドウ、ユメゴンドウなどのゴンドウクジラの仲間は、ハンドウイルカよりも小柄だったりします。
普通イルカと言う時に思い浮かべるのは、ハンドウイルカやマイルカなどのマイルカ科の種です。ハクジラ
亜目にはこれ以外にマッコウクジラ科、イッカク科、ゴンドウクジラ科、カワイルカなどがいます。イッカク科には、長い角を生やしたように見えるイッカクや、白く美しいベルーガイルカ(シロイルカ)が、いずれも北極圏に住んでいます。
アマゾン、揚子江、ガンジス河などの河に住んでいるカワイルカの仲間は、「イルカ」と呼ばれはしても、マイルカとの関係はずっと遠く、ハクジラ亜目の原始的な種であるとされます。
マイルカの仲間には、私たちにおそらく一番馴染みの深いハンドウイルカ(バンドウイルカ)、人間に興味
を示し、よく船に近づいてくることで知られる大西洋マダライルカ、ハワイの海で大きな群になっている小柄なハシナガイルカ、そしてマイルカ、スジイルカ、カマイルカ、コビトイルカなどがいます。
ちょっと変わったところでは、白黒模様が愛らしく「パンダイルカ」などと呼ばれたりするイロワケイルカも。ハンドウイルカは英語ではbottle nose dolphin(「びんのような鼻をしたイルカ」)で、尽きだした鼻先(ビーク、吻)は、ハンドウイルカに代表されるマイルカの仲間の特徴です。
イルカの分類については学者の間でも意見の一致しない部分が多くあり、科や属の分け方もまったく異なっていたりするので、分類学的に系統だてて理解するのは大変というより、実際のところ不可能です。以下では、マイルカの仲間を中心に「イルカ」と呼ぶことにして、話を続けます。
形態学的特徴
体長は2〜4メートル。ほ乳類ですが、水の中の生活に完全に適応しています。ほ乳類の中でも水中で出産を行い、一生を水の中で過ごすのはイルカやクジラと、ジュゴンやマナティーの仲間だけです。
後肢は退化して骨の痕跡としてのみ残っています。泳ぐ時の水の抵抗を少なくするため体型は流線型で、皮膚はなめらか。筋肉はすばらしくよく発達していますが、冷たい海の中で体温を保つために厚い脂肪の層でおおわれているので、外から見ただけでは想像がつきません。
口の中には小さく鋭い歯がたくさん生えています。
背ビレは高くてとがっています。魚は泳ぐ時、尾ビレを左右に動かしますが、イルカやクジラの仲間は上下に動かします。これは陸上に住む哺乳類が、疾走する時に体を上下にしならせて駆けていくのと同じ動きを受け継いでいるためです。
イルカはまた、生息地域によってさまざまな形態上の差異が見られ、体の大きさも違うなど、同じハンドウイルカの種に属するものでも、いくつかの亜種に分けられることがあるほどです。
種の歴史と祖先
現在の動物学の研究によれば、イルカやクジラの祖先はムカシクジラにまでたどることができます。5500〜6000万年前、有蹄類(ウシ、ウマ、ゾウなど仲間)の祖先から最初のクジラが別れ出たとされています。
化石の研究からは、最初のクジラが海に生活の場所を移した時、前肢がひれとなり、後肢は退化して、骨盤
や大腿骨などが名残として残るだけとなったとされます。4700万年前のロドケタスなどの初期のクジラ類で、海中生活に適応していく中でもっとも早く起こった変化は後肢の退化であったことが、化石によって示されています。
やがてムカシクジラが姿を消し、現在のクジラやイルカと直接つながるハクジラ類(マッコウクジラ、ゴンドウ、イルカ、シャチの仲間)とヒゲクジラ類(シロナガスクジラ、ザトウクジラ
の仲間)が現れました。ハクジラは歯があり、魚やイカなどを食べます。ヒゲクジラは体が大きく、ヒゲ板でオキアミなどの海中の小生物の群をこして食べます。
マイルカ類はハクジラの仲間として第三紀中新世、およそ1000万年ほど前に出現しました。
それにしても、クジラが種として確立されていくのに真っ先に起こった変化が後肢の退化だったという証拠を見る時、どうしても一つの考えが出てくるのです。
適者生存のルールによって海の生活に適応したものが生き残ったのではなく、クジラは海に帰ると決めたから、すぐに後肢や骨盤を退化させ、尾ビレを身につけて、海に適応する準備をしながら帰っていったのではないかと。
進化学者の今西錦二はこう言いました。「進化は起こるべくして起こる。人間は立つべくして立った。」
動物学と生態学的特徴
イルカの仲間は世界中の海に分布しています。マイルカの仲間の多くはおもに外洋に住んでいますが、カマイルカやハンドウイルカは比較的浅い海を好み、沿岸や内湾で多く見られます。浅海性の種の中には、南アメリカ東岸河のアマゾン川やオリノコ川上流にまでに入り込んでいるコビトイルカのようなものもあります。
イルカは恒温動物ですが、大形クジラと違って大洋を横切るような大回遊はしません。日本の近海では、15度から20度の水温を境に寒流系と暖流系のイルカがすみ分けています。
イルカは基本的に群を作って生活します。外洋性のイルカは永続性のある大きな群を作ります。この群は、繁殖や捕食などで他の群と一時的に混じっても、まもなく元のとおりに分かれます。群れのサイズは通常50頭以下で、大きくなると分裂します。
スジイルカやマダライルカの群は普通50頭から200頭くらいですが、500頭以上の群も目撃されます。群に
は、2歳から10歳までの若いイルカの群と、授乳中の子供と成熟した大人の群、そしてこの両方を兼ねた群があります。離乳した子イルカは、時おりまとまって群から分かれますが、成熟すると、それぞれ自分がもといた群に戻るようです。
イルカの群は子育て以外にも、協力して漁を行ったり、天敵から身を守ったりします。
食べ物は、見つかるものならなんでも食べますが、普通はイカ、ハダカイワシ、深海性のエビ、小魚などを多く食べています。魚を追うハンドウイルカは200メートルの深さまで潜水することもあります。
寿命は普通50年から60年、平均的な成熟年齢は7年から10年ほど。生涯妊娠可能ですが、年齢とともに妊娠率は下がります。妊娠期間は種によって10か月から15か月程度、1回のお産で生まれるのは普通1頭の子供です。離乳は早い種で1、2年、遅い場合は4年から5年かかります。
感覚と脳
イルカには嗅覚がなく、嗅覚に関係する第一脳神経は完全に消失しています。味蕾らしいものがあるので味は感じるようです。体表には神経端末が分布するので、肌に触るものや圧力を感じ取ることができます。神経端末は顔のまわりで密度が高くなっているので、そのあたりが敏感であることがわかります。
視力はよく発達していますが、海中では地上と違い見渡せる距離は普通20〜40メートル程度なので、イルカの生活には聴覚のほうが重要です。聴神経は脳神経のなかでももっとも太く、聴覚の敏感さと重要さを示しています。
イルカの声は数キロヘルツから200キロヘルツにわたりますが、声帯はなく、発音の仕組みについてはわかっていません。耳孔は体外に開いていませんが、中耳と内耳は陸上の哺乳類と同じ作りです。音は体表面や下顎骨の先から耳に伝わるようです。
イルカの声は、反射音を利用して水中の物体を探知するためにも使われます(エコロケーション)。もちろん、声は仲間とのコミュニケーションや識別にも使われます。
イルカの脳はハンドウイルカで2キロの重さがあり、体重比は1.2%です(人間では2%)。大脳がたいへん発達しており、大脳皮質には深い皺がたくさんあって、皮質(新皮質)の面積もとても広く、イルカに高度な知能があることを示しています。
睡 眠
イルカは海に棲んでいても、頭部の呼吸孔から空気を取り入れて肺呼吸をしています。これは意識的な行為なので、例えば人間のように意識を失う形で眠ったりしたら溺れてしまいます。このためイルカは脳の片半球ずつ眠る能力を発達させました。
実験では、片側が眠っている時にはその半球の皮質にゆっくりした脳波が現れることで、確かに脳の半分だけが眠っていることが確かめられています。この時、その側のまぶただけが閉じられています。左右の交替はだいたい25−30分ごとに起こります。
海で出会うイルカを観察している限りでは、眠りには群でみんないっしょに入ることが多いようです。睡眠中のイルカの群は、お互いのわりあい近くに固まって、なんだかぽーっとした雰囲気で、まわりのものにも興味を示さず、ゆっくりと泳いでいきます。
コミュニケーション
海中は空気中に比べ視界がききませんが、水は空気に比べ5倍の早さで、より遠くまで音を伝えます。この
ような環境のため、イルカは聴覚を発達させ、同時にさまざまな声を持っています。水中マイクを沈めてイルカの声を聞いたり、実際にイルカたちと泳ぐ時に耳にするその声は、明らかに意味のあるコミュニケーションに感じられます。
イルカの声は大きく分けて3種類、クリック、ホイッスル、層状音があります。クリックでは1万分の1秒
程度のきわめて短い音が連続的に発せられ、おもにエコロケーションに用いられますが、強い音圧で魚を麻痺させる形の漁にも用いらます。ホイッスルは笛を吹くような声で、仲間同士のコミュニケーションに用いられます。
それぞれのイルカごとに特徴的な「シグニチャーホイッスル」と呼ばれるものもあり、お互い同士の識別に用いられます。層状音は複数の周波数成分が重なるもので、ギャアギャア、ニャアニャアなどと聞こえ、興奮した時や威嚇をする時などに頻繁に発せられます。
遊 び
動物たちが、生存には役立たない不思議な行動、好奇心や創造性の表現とも見える行動を見せる時、それを私たちは「遊んでいる」と感じます。このような意味で、イルカたちはしばしば遊んでいるのが観察されます。
珊瑚や海草の切れ端をくわえたり、胸ビレにひっかけて泳ぎ回ったり、それを落としては拾いにいったり、お互いに受け渡しながら追いかけっこをしたりします。また、食べるわけでもなく魚を追い回したり、尾ビレをかじっては逃げるのを追いかけたりします。
水中で息を吐き出す時の勢いを加減して、見事な気泡の輪を作ることさえあります。水族館のイルカが気泡の輪を作り、その技術を磨いていく例があちこちで報告されています。
イルカと人間の関係
イルカが沈んだ船の水夫や漁師、水におぼれる人を助けたという話は古代から伝わっています。イルカにまつわる民話や伝説は、古代ギリシャから太平洋の小島にいたるまで見られ、それは思い出せないくらい昔から人間とイルカが、とても親密で特別な絆を共有してきたことを示しています。
実際、イルカのいる海に出て、船の舳先の波に乗りにイルカが集まって来るのを見る時、あるいは水の中から勢いよくジャンプをするのを見る時、私たちのハートは弾み、いつまでもそれを見つめていたい気分になります。
イルカと一緒に泳ぐ経験をしたことがある人は、それが他のどんな経験からも得られない高揚感と、何とも言えない懐かしさを感じさせるものであることを知っているでしょう。
太平洋の島の中には、呪術的な儀式を通してイルカを捕獲し、その肉を食べる部族がありますが、一般の魚を扱うような「漁業」としてイルカを捕まえ食用にする習慣があるのは、世界でも日本だけです。
神話と伝説に現れるイルカ
・シュメール 女神アスタルテとイシュタルの象徴
・エジプト 女神イシスの象徴
・ミノア文明 海洋王国であったミノアの海軍力の象徴
・ファーストネイション(ネイティヴアメリカン) 海に住みながら空気を呼吸することから、生命の神聖な呼吸の守護者とされた
・キリスト教の聖書には、少なくとも5人の聖者がイルカによって救われたという話が記されている
・ギリシャ 海神ポセイドンのお供。神々の世界と人間の世界をメッセンジャーとして行き来したエロス神は、イルカに乗って旅した。イルカの姿はデルポイ神殿の壁に描かれており、アポロはイルカに変身して海を泳いだと言われ、イルカの姿をとったアポロンはアポロ・デルピノスと呼ばれる。
そもそもイルカ(ドルフィン、dolphin)の語源はデルポイ(Delphoi)の語源と関係しているとも言われ、デルピノスにはさらに「イルカ」という意味と「子宮」という意味がある。
イルカについての物語はギリシャに豊富で、壁画にも多く描かれている。イルカは音楽が大好きだとされ、
詩人アリオンの歌に聞き惚れ、船のまわりに集まったという話もある。死者の国と生者の国の間を旅するともされ、魂を地下の世界へ導く存在として、葬式の骨壺にも描かれた。ギリシャではイルカを殺すことは死刑によって罰せられる犯罪だった。
詩人オピアンは「イルカを狩ることは非道徳的である。イルカの破壊をたくらむ者は、捧げものをもって神の近くに寄ることはできず、その祭壇にきれいな手で触れることもできない。このような者は、同じ屋根の下に住むものを汚す」と書いた。ギリシャの星座図にはもちろん「デルフィヌス」(イルカ座)がある。
詩人アエリアンは、イルカの愛と献身についてこんな物語を残している。
「イルカが男の子と恋におちた。男の子を誘い出し、両者は友達になった。毎日学校の後に男の子は海で泳ぎ比べをしたり、イルカの背に乗ったりしてイルカと遊んだ。しかしある時、男の
子は誤ってイルカの背ビレの上に倒れ、腹部の静脈が切れ、出血多量で死んでしまった。イルカはあまりに悲しみ岸に身を投げた。人々はイルカと男の子を一緒に埋葬した。」
・ニュージーランドのマオリ族は、イルカは「海の人間」で、部族の問題を解決するのを助けると信る。ボディランゲージで未来の出来事を知らせるとされ、神の使いと見なした。マオリ族
はまた、ニュージーランド沖に生息するヘクターズドルフィン(体長1メートルの世界で一番小さいイルカ)を特別視し、死者の魂がこのイルカになると信じた。
イルカにまつわる神話の中で、イルカが人間になる物語やイルカを祖先とする部族の物語も多くある。
「北オーストラリアでは、イルカとの特別な関係を説明する起源神話を持つ部族がある。はるか昔、ドリームタイムの頃、インジュベナ(イルカ)がいた。彼らは傲慢で、海の危険をものともせず、面白がってヤクーナ(小さな貝)たちをいじめていた。ついにヤクーナのリーダーがマナ(イタチザメ、大きく凶暴)に助けを求めた。
1匹を残してすべてのイルカが殺され、その魂は体を去って、地上の人間になった。ただ1頭、身ごもっていた雌のイルカが救われ、息子を生んだ。それは、それまでのイルカよりも強く賢く、我々が現在知っている、人なつこくて知的なイルカの最初の1頭である。
母親イルカは浅瀬に泳いでいった時、夫を見つけ喜んで人間に変身し、再び結ばれた。この夫婦から多くの子供が産まれ、イルカ族になった。彼らは海の先祖との関係を決して忘れず、イルカもまた人間との関係を忘れていない。」
西キャロリン諸島の伝説。「昔、二人のイルカ女が海から出てきて、村の男が踊るのを見ていた。何日か
続けたが、ある夜、女たちが砂に残した跡を村の男が怪しみ、翌晩、隠れて見ていた。そして女がイルカの体から出たあと、一人のしっぽを隠しておいた。一人の女は海に帰れず、村にとどまって男の妻になり、二人の子供を産んだ。
ある日、彼女は屋根に隠されていた自分のしっぽを見つけ、浜に向かった。海の故郷に帰る前に、彼女は子供たちに決してイルカの肉を食べないように願った。こうして村の人間がイルカを食べることはタブーになった。」
イルカたちがもたらすもの
海の兄弟、自由な魂
イルカについての動物学・生態学的な特徴や性質、神話や民話での記述などを見ていくと、種としてのイルカが、地球の自然の魂の中で、また人類の集合意識の中で、どのような要素を担っているかが感じられるようになってきます。
イルカのアーキタイプに帰属されるパワー
- 力強さ、素早さ、自由、変化、オープンさ
- 智恵、雄弁さ、コミュニケーション、好奇心と発見の喜び
- 呼吸を通して感情にアクセスし、解放する
- 水の魔術、とくにネガティヴな感情を洗い流す
- 神々の世界と人間の世界を行き来する存在
- 生命のリズムに従う能力
- 生まれ変わりのために地下の世界ないし女神の子宮へ魂を導く存在
ドリームワーク
イルカは陸に起源を持つ哺乳類(子宮を持つ動物)でありながら、自由に水の中を生きる存在。水は生命の
媒体で、感情エネルギーや第2チャクラとも深いつながりをもっています。ユング派の解釈では水は無意識の象徴であり、イルカは水の象徴です。また非常に深く感情を感じ、それを停滞させることなく流して手放すことができる能力を持っています。
このようなイルカのアーキタイプからメッセージを受けとるドリームワークをしてみましょう。
ぬるめのお風呂にゆっくりつかったり、シャワーを浴びたり、流水で手を洗ったりしながら、自分の体の60〜70パーセントが水分であることを思い出して、体を通しての水とのつながりを意識します。イルカについての本や物語をできるだけたくさん、寝る前などに読み、枕元にイルカの絵や写真を置きます。
そして、夢の中で神聖なメッセージの運び手としてのイルカ、あるいはパワーアニマル、トーテム、アーキタイプとしてのイルカに出会いたいと祈ります。
海の水の感触や波の音などを思い浮かべながら眠りにつきます。海のCDがある人はかけながら眠ってもいいでしょう。イルカと泳いだことのある人はもちろん、その時のイルカたちの声や存在感を、感情をこめてできるだけ鮮やかに思い描きます。枕元には夢日記と筆記具
を置き、夜中でも朝でも目が覚めらすぐに覚えていることを書きとめます。
すぐに夢を見ることができなくともあきらめず、イルカや水に関係する夢を見ることができるまで、繰り返して行いましょう。繰り返しての努力は、自分の中に心的エネルギーを蓄積し、ドリームワーク(夢との意識的取り組み)が起こりやすくするからです。
このような形で取り組んでいる期間中、また取り組みの後も、一つでもよいので、イルカによって象徴される性質を自分のものにし、イルカからの恵みを受け取るのにふさわしい行動を実行に移すよう努めます。
例えば、自分に正直でいるよう努める、好奇心に正直にそれを追いかけてみる、とくにまじめすぎる人などは、いつもの自分を知っている人を驚かせるような形で、自由に気ままに振る舞ってみるなど。また、生命の根元としての水の大切さについて考える習慣もつけましょう。
夢の中やメディテーション中にイルカの姿を見たり、またこれまでにも自分の人生の中でイルカたちから恵みを受けてきたと感じたら、言葉でお礼を述べることに加え、イルカたちや海の保護活動に関与する団体に寄付をしたり、ヴォランティアをして、現実的な形で感謝を現します。
また普段の海や水、海の生物との関わりにおいて、単に自分のニーズを満たしたり望みをかなえてもらうことだけを考えず、海とその住人に対する敬意と心遣いをいつも心において接するようにします。
海は生命としての人間の起源であり、種としての人間を形成した故郷でもあります。私たちの体には今も、
水棲動物としての特徴や性質が多く残されています。海は感情、細胞、そしてすべてのエネルギーの媒体です。海に体をつけた時、私たちの感情、そして存在そのものが、水を通して他の生命たちにつながれ、共有されるのです。
海はまた、海に帰り、そこにとどまることを選んだ兄弟たちの住居です。この兄弟たちは「単なる動物」ではなく、また人間を救済する「神」でもありません。人間とは異なる形で高い知性
と鋭敏な感情を持ち、人間と等しい魂を持っています。人類が全体としてイルカたちのことをさらに理解し、対等な海の守護者として働くことを学ぶには、まだ時間がかかるでしょう。
しかし幸運にもイルカと接する機会に恵まれ、その存在をじかに経験することのできた人や、そのような経験がなくとも、いつもイルカに心惹かれてきた人たちは、海をきれいに保ち、イルカたちを不要な殺戮から守る責任の一端を分かち合いましょう。
エネルギーワーク・テキスト編
「オーラを見る、エーテル体レベル」
今月(2005年1月)から、ライフスクールのクラスでの実習を補うテキスト的内容も載せていく。
説明されている全感覚練習やエネルギーワークが「言葉だけではどうしてもわからない」という人
(というか、その方が普通だと思うが)、「でもこういった能力をしっかり身につけたい」という人は、オープンスクールを経由してライトワーカーズ・トレーニングに参加するか、その他の信頼のおける教師を見つけて、少なくともしばらくの間、体感的・実体験的に学ぶことを勧める。
エネルギーワークは、何をどうしても文章だけから学ぶことは不可能に近い。そして自己流で変な癖がついてしまうと、後からそれを修正するのもかなり大変である。
さて、基礎的な「全感覚」(=物質的五感+それを超える感覚)は誰にでも備わっていて、適切な指導を受け、心理的なブロックを取り除きながら長期的に練習すれば、誰にでも、かなりのレベルまで身につけることができる。これは私がアメリカでも日本でも、多数の人に教えてきた経験から断言できることだ。
ポイントは、
(1)全感覚の仕組みをよくわかっていて、明確に教えることのできる教師から体感的に学ぶこと、
(2)時間をかけて練習すること、
(3)練習しながら、すでに一定レベルの精度で感覚を開いている人からフィードバックを受けること、
(4)一人でだけ練習せず、他の人と一緒に練習したり、互いにフィードバックをし合うこと(意図を同じくするグループの中で練習すると、一人一人のエネルギーが底上げされて、感覚を開きやすい)、
(5)感覚を開く練習と平行して心理的ブロックを取り除くのにとり組むこと(理想的には心理療法を継続的に受けることが望ましい)。
「ええーっ そんなに○○○○ー」と叫んではいけない。今まで(20数年、30年、40年あるいはそれ以上)かけて閉じてきた感覚を開き直し、それを自分の脳・神経系や心理構造、
人格に再統合しようというのだ。そんな作業が4、5年で済めば、実にありがたいことだ。何しろその後の自分の人生は、それ以前とは比べようもないほど豊かで効率のよいものになるのだから。
もしも自分の目が見えなくなったら、耳が聞こえなくなったら、どんなに不便か想像できるだろうか。五感以外の感覚を閉じて生きている人は、じつは同じような不便を日々、それとも気づかず生きている。自分の体が肉体の病気になる前にそれを感じる力、特定の食べ物を口に入れた瞬間に自分の体にいいかどうかを
感じる力、冴えた直感、愛を実体のあるエネルギーとして感じる力、高い世界とつながり、ストレートに人生の意味を感じる能力....これらはすべての人間が本質的に供えているべき力である。
さて、今回は「見る」練習から入ろう。
一番見やすく触りやすいのはエーテル体(伝統的には「エーテル体ダブル」)なので、それを前提に話を進める。
エーテル体(ダブル)はオーラの第一レベルで、肉体に一番近いというか、実際には肉体の一部である(というか、肉体はエーテル体の一部というべきか)。これはオーラの第5レベルのエーテル体テンプレート(伝統的にはこちらを「エーテル体」と呼ぶ)と区別される。
エーテル体は肉体より普通5ミリから2、3センチほど外にはみ出ている。
健康な人ほどエネルギーないし光があって、適度の厚みがあって、手触りもしっかりとしている。病気の人ではエネルギーがなく、光も厚みも薄い。よく体を使い込んでいる人では強くしなやかで、体を使わない人ではやっぱり固くて脆く、光がない。
エーテル体の基本の色は「青」だが、最初オーラを感知し始めたばかりの頃は無色、あるいは白や灰色のように見える。
繊細な人では色目も澄んだ青色で、体質のごつい人では青というより青灰色の色調だ。
ちなみにシュタイナーの記述をもとに感覚を開いた人は、この波長帯を「マジェンタ」と認識する。私のガイドの指摘では、マジェンタは未形成の生命エネルギーの色であり、それが個々の生命のエーテル体テンプレートに流れ込んで形をとると、青になる。
エーテル体を見るのには、人によって照明も背景も明るい方がうまく人もあれば、暗い方がいいという人もいるので、色々試して自分に具体がよい環境を探すのがよい。第6チャクラ(第三の目)の開き具合や視覚神経の発達度や癖が、人によって異なるからだ。
エネルギー(オーラ)を見るには、「見よう」と緊張することはまったくの逆効果。基本は「ソフトフォーカス」である。これは目のまわりの筋肉の緊張をゆるめ、焦点が合わないようにぼーっと見ることだ。
このソフトフォーカスの仕方を教えてくれるのが、推薦書籍にも入れてある「3D視」の本で
ある。試したことがない人は本屋で立ち読みしてでもいいので、自分の目がソフトフォーカスに入れることを確認しておこう。(ちなみにこのソフトフォーカスは「フォトリーディング型」の速読に使われるのと同じでもある。)
ソフトフォーカスのこつをつかんだら、照明や背景の色(白から灰色、あるいは黒などの無彩色がよい)を自分に具体がいいように調整して、自分の手や、他の人の頭のまわりを見る。
手は最初に指先どうしをこすり合わせてエネルギーを活性化した上で、指先どうしを目の前でくっつけ、それからゆっくりと離すと、指先のまわりをエネルギーが取り巻いているのが見えたり、指先と指先の間に糸を引くようにエネルギーがつながっているのが感じられる。
仮にまだ白い光や青いエネルギーとして感知できなくとも、それがエネルギーだとわかるのは、その部分のエネルギーの密度が背景より濃いことがわかるからだ。
これは本当に少しの練習で誰にでも感じられるようになる。
人の頭を見る時も、同じ要領でソフトフォーカスにして、相手の頭の回りを見る。手頃な練習台がなければ、指でしばらく練習してから、鏡で自分を見てみるのもおもしろいし、動物や植物でも試せる。
これが、エネルギー(オーラ)をとくにハンズオン・ヒーリングの目的で見るための基礎である。
視覚的にでも触覚的にでも、エーテル体のエネルギーをよく識別できるようになると、外からではわからない肉体の変調を見分けることができる。例えば特定の臓器の機能が弱っている場合や、過去の古傷や手術の跡が治りきっていない場合などだ(これは追加の練習を必要とするが)。
Bibliotheca Alexandiriae Parvulae ライトワーカーの書庫
アルケミーやヒーリング、秘教系(エソテリズム)の分野で、ライトワーカーにとって重要だが日本語で入手できない文献を選んで紹介していきます。
Geoffrey Hodson『The Kingdom of Faerie(妖精の王国)』
(Kessinger Publishing, LLC)
20世紀初頭に活躍した神智学系の透視家たちの中でも、自然霊(デーヴァとネイチャースピリット)に関する研究の分野で、ジェフリー・ホドソンの功績は群を抜いている。フィンドホーンの創設者の一人で、自然霊とのコミュニケーションをもっぱら担当したドロシー・
マクリーンがホドソンの影響を強く受けていることは疑いがない。
神智学系の透視家の重鎮レドビーターが、もっぱら人間のオーラやチャクラ、ガイドの存在などに集中したのに対し、ホドソンは世界各地を旅しながら、自然霊たちについて膨大な量の透視観察を集め、妖精などについての伝統的な知識と関連づけながら、自然霊の世界を整理、体系づけていった。
もともとはヒンズー語起源の「デーヴァ(輝ける者)」という語に、現在の精神世界で用いられる意味を持たせた形で普及させたのも、ホドソンの貢献と言える。
本書は1925年に執筆された小著だが、ホドソン自身の観察と経験に基づいて、デーヴァ、妖精、ネイチャースピリット、パーン(牧神)、デーヴァと人間の協力などについて綴られている。
ホドソンの自然霊についての記述は壮大、優美だが、抽象的ではなく、彼の自然そのものに対する愛と観察力に支えられて、大地に根を生やしているように具体的で生き生きとしている。
20世紀初頭のイギリス人の文章であるから、文体はやや古びて読みにくいが、この頃に書かれた英語の精神
系の著作には重要なものが多いので、こういう文体にも慣れるにこしたことはない。20世紀末に大量に出版されたニューエイジ系の書籍など、この頃の文献の単なる水増し焼き直しとしか思えないものが多かった。
『Gnome and Deva(土の精とデーヴァ)』の章から部分抜粋
「過去6か月、ノーム(地の精)一族の一人で、彼の同胞たちよりいっそうの自己意識を身につけるのに成功していたものが、我々に大してますます興味をつのらせているのに気づいていた。夏には彼はだいたい、我々が家から庭に入ると同時に現れるのだった。芝生の
向こうの果樹園から走り出てきて、エーテルエネルギーをフラッシュさせて私の注意を引きながら。
その頃は彼にはほとんど注意は払われなかった。しかし冬になってから、彼は家の中に入り始めた。火の周りでの(=暖炉を囲んで過ごす)冬の夜の間、しばしば彼が部屋の中を遊び回っているのが見られた。窓から抜け出たり入ったりしながら、ちょうど人慣れした鳥かリスが示すほどの興味を我々に示しながら。
彼には本当の愛情に近いようなものを持つ能力などなかったが、普段のたまり場を離れ、家の中という慣れない環境(で過ごすほどの)十分な楽しみを、我々の社会に覚えていた。
彼の環境をさらによく調べると、彼があるデーヴァによる特別な実験の対象にされていることがわかった。このデーヴァは、庭とそれを取り囲む何千本もの若い果樹が育つ果樹園の元素霊たちの守護者の役割を占めているようだった。
このデーヴァは明らかに彼が保護する存在たちの進化を加速することにはるかに関心があり、彼の態度は、動物か植物を特別な処置のためにあれかこれかと選ぶ、動物の飼育者か園芸家のそれととてもよく似ていた。彼はこのノームが我々と親しくなっているのを観察し、その事実を利用することに決めた。
その結果として、まねをしたがる自然の傾向性が、このノームの中で非常に増加したように見えた。」
解 説
「デーヴァ(Deva )」の原義はヴェーダ系の文献の中から「光り輝く者」で、神智学系の透視能力者や研究者によって、自然霊の秩序の中で特定の役割をもった存在に与えられた分類名称。デーヴァたちの仕事の一つは、自分が担当する種の進化の青写真(テンプレート)を保持すること。
「元素霊(elementals)」はここでは「ネイチャースピリット」と同義。デーヴァ同様、自然霊の秩序の中で特定の役割をもった存在に与えられた分類名称で、ネイチャースピリットの仕事の一つは、デーヴァの保持する進化の青写真に沿って、実際にその種の個体を育て、手入れすること。
「(進化の)胎動」は進化を加速するような内的衝動。
『妖精(Fairies)』の章からの部分抜粋
「実際にクローヴァーに働きかけているものは、その中に沈み込み、その植物のアストラル体と融合し、45センチから60センチほどの面積を覆った。彼らはこの状態にしばらくとどまり、それから飛び上がり、しばらく宙を漂い、野原の別の部分へと飛んでいって同じプロセスを繰り返した。
この野原は2エーカーほどの広さで、少なくとも百ほどの妖精たちがそこで働いていた。彼らの仕事の効果の一つは、この野原に生まれている植物の集団魂のアストラル・レベルの意識の胎動を、その(彼らが働きかけている)部分で早めることだ。
明らかに、植物が開花の時期に達した時、それに宿っている意識はもっとも活発な状態にある。そのためそれ(植物)は、デーヴァのヒエラルキーのメンバーによって与えられる刺激に非常によく反応する。まるで植物の意識が妖精に向かって伸び上がろうと一生懸命の感じさえする。そして確かに進化のプロセスの胎動がある。
何名かの妖精たちが今度は、先ほどから私が記述している特定の球体のまわりで踊っている。その輝く大気を浴び、その美について深く物思いにふけることに明らかな喜びを感じながら。」
解 説
「アストラル体」は古い訳語では「星気体」とも言った。アストラル・レベルの自分のエネルギーの体で、睡眠中、しばしば我々のアストラル体は体を離れて(「幽体離脱」して)アストラル界を旅する。シャーマニズムなどで用いられる「魂」とほぼ同義。
「ハイアラーキー(ヒエラルキー、ヒエラルヒー)」は「階層組織」。自然霊たちの存在が高度に秩序だった階層状の系統をなしていることから、こう表現する。ちなみに秘教系の文献で「ハイアラーキー」と言う場合には、とくに人間に関わる同じようなエネルギー存在レベルの階層組織の系統を指している。
『デーヴァ(The Deva)』の章からの部分抜粋
「(コツウォールドヴァレーのデーヴァ)初めて見た時、彼は3メートルほどの高さに見え、そのオーラは、彼の姿からおよそ100メートルほどの距離にあらゆる方向に向かって輝いていた。
しかし我々の会話の後、彼は、それ(オーラ)が谷を横切って向こう側に届くまで、そして谷を流れる小川に届くまで、広げるか引き延ばした。それから谷を下に向かってゆっくりと移動し、その中のあらゆる生き物に触れ、それぞれに彼自身のすばらしい活力に満ちた生命の力を分け与えて(いった)。
彼の顔は高貴で美しく、その目はまばゆいほどに明るく、目と言うよりは二つの力の焦点のように見える。これらは我々の目と同じ程度には、考えや感情の表現のために使われるのではないからだ。
善意のある歓迎が表現され、それは開いた唇からのほほえみを通してだけでなく、その物腰全体を通して(行われた)。彼はちょうど浄化と胎動を引き起こす力を谷全体に投げかけるのと同じように、その歓迎を我々の上に輝かせた。
彼の性格は、デーヴァの生き生きとすべての制限から自由である感覚と、他者への優しさ、深い気遣いと愛という人間的能力のまれな組み合わせだ。私は、谷におけるすべての誕生と死は彼に知らているに違いないと感じる。そしてその両者に伴う痛みは、彼によって、その力で可能な限りやわらげられると。
というのは、私は彼のオーラの中に記憶の形を見るからだ。その(記憶の)中では、彼が今死んだばかりのものたちの魂を自分のまばゆい輝きの中に受け入れ、保護し、安らぎの場所へと導くのが見える。彼はまさにこの谷の守護天使であり、彼に見守られて住む者は幸せである。」
コメント
最初のパラグラフは、自然霊の秩序の中でのデーヴァとネイチャースピリットの関係を示す観察の一部。二番目は野原でクローヴァーの開花期に仕事をするネイチャースピリットたちの仕事ぶりの記述。最後はコツウォールドヴァレーのオーヴァーライティング(全体を見守る)デーヴァについての、実に美しく見事な記述。
私自身がホドソンの観察記録を読むのがとりわけ好きなのは、一つには、ホドソンが観察し記述した自然霊たちの行動や存在感、彼らの内的プロセス(「考え方・感じ方」)や行動パターンなどが、自然霊について自分が観察してきたこととじつにそっくりであるからだ。
私自身の自然霊たちとの経験はホドソンを読み始める前にさかのぼるが、それは、それまでに読んでいた他の文献に描かれている自然霊たちのイメージや記述と必ずしも同じでなかった。しかしホドソンを読んだ時、彼が見ているのが明らかに自分が見ているのと同じ「世界」であることが感じられ、それはなかなかうれしかった。
それにしてもホドソンの文章を読む時、ただひたすら自然を観察し続け、その背後に動く摂理に気づくことで、人は、ここまで生についての智恵と愛に目覚めることができるのだという感慨にうたれる。
この他、雑録、編集執筆者による過去のレクチャーの筆記録(部分要約)(2005年1月号から)などの読み物が満載です。
編集執筆者(王由衣)による一般公開のレクチャーやワークショップについてのお知らせが掲載されます。
編集執筆者のプロフィール
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