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石井光太【激動 世界情勢の裏側】 創刊準備号
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ By Ishii Kota □■□
▼コンテンツ
1初めに 【創刊にむけて】
2貧困講義 【第一講 スラム篇 スラムとは何か】
3統計と分析 【第一講 中国・男女の性比について】
4エッセー 【インドの厠の怪】
5世界を知る名作【『インドへ』(横尾忠則)】
6今週のコラム 【創刊準備号について】
※サンプルのため、半分をブログからの転載で行っています。
メールマガジンではブログと重なる点はありません。
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■初めに
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■創刊にむけて
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このメルマガは、世界をあらゆる角度から見つめるためのものです。
旅行日記でもなければ、お笑い話でもなく、マメ知識紹介でもありません。
メディアが見てこなかったもの、見ることをタブーとしてきたもの、そういう
ものを正面から一つ一つ取り上げていくつもりです。
アフガニスタンでも、ニューハーフはお化粧して踊っています。
インドでは、路上の子供たちが手足を切断されて物乞いにされています。
カンボジアの地雷障害者は路上で暮らしなら寄付金で酒盛りをしています。
パキスタンの兵器密売人ほど戦争を反対している人はいません。
世界は、私たちが考えている以上に、多様な側面を持っています。
そうした面を一つずつ正面から見つめていくことによって、初めて世界を
認識できるようになるのだと思います。
このメルマガは、私のノンフィクションの姉妹編となります。
本では描けなかったこと、本とは違う表現でしか掛けないこと、本の補足を
したいこと、そうしたものをメルマガという形で描くということです。
※参考
『神の棄てた裸体――イスラームの夜を歩く』(新潮)
『物乞う仏陀』(文藝春秋)
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貧困講義〜スラム篇
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■第一講 スラムとは何か
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日本でも戦後間もない時期には、裏町や川辺などに粗末な家が集まっている
地区がありました。貧しい人たちが自分たちで小さな家を建てて暮らしていた
のです。
こうした家はバラックといいます。みすぼらしい仮設の家のことです。
ベニヤ板やトタンを重ねてつくったのがほとんどで、隙間風や雨漏りがあり、
虫などが簡単に
入り込んでくるところでした。
戦後、家も財産も失った人々はこうしたあばら家に暮らしながら、闇市
(ブラックマーケット)などで働いて懸命により良い生活を目指しました。
もちろん、お金をためて大きな家に移り住んだ人もいましたし、退廃した
空気に飲まれるようにしてそこを終の棲家とした人もいました。
こうした土地は「貧民窟(貧民たちの住処の意味)」と呼ばれており、
ここにこそ戦後日本の影があったのです。
今、世界にはスラムと呼ばれる地区があります。これは、戦後日本でいう
ところの貧民窟にあたります。
世界には戦後日本にあったような貧困がまだまだ残っています。
カンボジアのプノンペン、インドネシアのジャカルタ、インドのカルカッタ
など、多くの都市でスラムを見つけることができます。
スラムには大きく分けて二つの形態があります。合法的なスラムと、
非合法なスラムです。
合法的なスラムとは、町の中心部から離れた土地や、劣悪な環境に住居を
買ったり、借りたりして暮らしているケースです。ゴミ集積所の隣だったり、
雨季になると水没したりするような安い土地です。
この場合、住人はその土地に暮らす居住権をもっていますので、住んでいる
こと自体は違法ではなく、単に貧しい人が安い土地に大勢住み着いている
ような状態です。
一方で、非合法なスラムとは、貧しい人たちが第三者の土地に押し寄せて
勝手に家を建てて住み着いてしまうことを意味します。
たとえば地方に暮らす人々が災害にあったとしますよね。すると彼らは
土地を捨てて都心にでてくるほかになくなります。しかし、お金がないので
家を買ったり借りたりすることができません。それゆえ、勝手に他人の敷地に
家を建てて暮らしてしまうのです。
途上国のスラム問題で、スラム住人の立ち退きが行われたり、取り壊され
たりすることがあります。こうしたことは土地の所有権を巡る問題につな
がってくるのです。
まぁ、日本でいえば、ホームレスが自分の家の庭に住み着いて町をつくって
しまったようなものですから、土地の所有者としては困惑して当然だとは
思いますが。
さて、もう少し話を発展させていくと、この二つのスラムをさらに細分化
することができます。
合法的なスラム
大家が富裕層のスラム……お金持の土地持ちが貧しい人にバラックを貸す
スラムの住人が大家のスラム……スラムの貧しい住人が土地や家を貸す
国や民間団体などが運営するスラム……寄付金などが住人に対して出る
スラムの住人が土地を所有しているスラム……貧しい人が土地を持っている
非合法なスラム
公有地にできるスラム……公園、道路などが占拠されてしまう
私有地にできるスラム……個人の所有の土地が占拠されてしまう
未払いのスラム……所有権が切れていたり、家賃が未納のまま占拠される
合法的なスラムであれば、誰がその土地や家をもっているかということが
重用になってきます。
国や民間団体が貸し出しているのであれば、ある程度保護されているという
ことができるでしょう。しかし大家が非情な人であれば貧しい人から
さらにお金を窃取する構造ができあがりますし、大家がスラムの住人であれば
貧しい人たちがお互いにお金を奪い合うような構造ができあがってしまいます。
実際にスラムを歩いていて、こうした所有権の話をきくと、スラムの土地
所有権の複雑さを物語るような答えが返ってくることがあります。
時々耳にするのが、地元のギャングが大家であることです。そもそもスラム
では住人がギャングになることは珍しいことではありません。
彼らはスラムに暮らしながら麻薬の売買などで多額のお金を得ます。
こうしたギャングたちがありあまるお金でスラムの土地を買って、
さらにそれを人に貸し出すことがあります。こうなるとギャングの力がつき
ますし、スラムの子供がギャングにリクルートされることも多くなります。
さらには、治安も悪くなっていくことになります。スラムという蟻地獄が
どんどん拡大していってしまうわけです。
さらに興味深いものでは、ギャングが自分の土地ではないのに、そこに
住み着いた人から家賃を取るケースもあります。その代わり、
ギャングは本当の土地の所有者を脅して強制退去をさせないようにします。
こうすることで、ギャングとスラムの住人とが持ちつ持たれつの関係を
築きあげて、お互いが離れられないような関係になっていくのです。
また、外国のスラムといえば遠い話のように聞こえるかもしれませんが、
意外なところで私たちとも関わっています。たとえば、日本には多くの
外国人出稼ぎ労働者がいます。彼らの多くがスラムの出身だといって
過言ではありません。貧しい町から逃れるように日本で売春をしたり、
肉体労働をしたりすることで本国では稼げない額のお金を稼ぐのです。
こうした外貨は送金という形でスラムに暮らす家族のもとへ送られ
てきます。すると家族はそのお金でスラムに豪邸を建て、
これまでつかっていた家などを貸すことで家賃収入を得ようとするのです。
スラムによっては、こうした外国からの送金でできた豪邸を皮肉を
まじえて「日本の家」「アメリカの家」「ドイツの家」などと呼んだり
することがあります。
そして、スラムの人たちにはそのイメージこそが「日本」の印象と
なるのです。
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統計と分析
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■第一講 中国の性比について
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今回は、出生に関する性比の問題をとりあげたいと思います。
世界では、一年間に一億四千万もの赤ちゃんが生まれています。その赤ちゃん
は男の子と女の子にわかれますが、どちらが多く生まれるかご存知ですか。
答えを先に言うと、男の方がわずかに多く生まれるといわれています。
公立の学校へいっていた方なら実感としてわかるのではないでしょうか。
通常クラスの男女比は女性よりも男性の方がわずかに多くなっているはずです。
ただし、男性の死亡率の方の方がわずかに高いため、成人になる頃には男女は
一対一の割合になっていることが多いといわれています。そして、今度は年を
とればとるほど男性の方が早く死んでいくため、お年寄りに限って男女比を
だせば、女性の方が多いということになるのです。
ただ、これはあくまで理想的な形です。様々な要因によって、その理想的な形
が崩れてしまうこともあります。
出生における男女比に限って言えば、先ほど女性よりも男性の方が多くうま
れると申し上げました。
実際どれぐらい多いのかといえば、女性を一○○と考えた時、男性は一○五人
うまれるといわれています。一○○対一○五が理想的な形なのです。
分母の人口が多ければ多いほどこの比率に近づきます。数十万人ぐらいの人口
規模の国ならばわずかなズレは多いでしょう。しかし数億となってくると、
どんどんこの比率に近づいていくのです。
基本的に、一億以上の人口を有する場合、どれだけズレても、女性が一○○に
対して、男性が一○四〜一○七だといわれています。つまり、ズレる可能性が
あっても一か二が限界だというのです。もし、それ以下になってしまったり、
それ以上になってしまったりすると、「何らかの人口操作」が行われて
いることを疑わなければなりません。
ここで見てもらいたいのが、中国の性比です。
中国では八十年代には一○○対一○八、九十年には一○○対一一、そして
現在は、一○○対一二一になっています。自然になる男女比とはほど遠い
状態になっているのです。
ここで考えられるのが、中国で「何らかの人口操作」が行われているのでは
ないかという疑惑です。
ただ、人間の出産である以上、子供が一○○対一○五の割合で生まれている
ことはたしかなことです。つまり、男性を多く生むということは
できないのです。
ならば、何が考えられるかといえば、生まれてきた女性を何らかの方法で
減らすことによって、男性が多くなってしまっているのではないかという
ことです。
この問題を考えるには、中国の一人っ子政策(計画生育)について見る
必要があります。
中国では、一九七九年から一人っ子政策が開始されました。人口の増加を
抑えるために、一家の産む子供を一人にしようとしたのです。
「子供は一人まで、それ以上生めば罰金の支払いを命じる」
そのような決まりをつくることによって人口抑制をしようとしたのです。
男女の性比がズレはじめたのはちょうどこの頃からです。それを考えると、
一人っ子政策によって性比が変わったと考えることができるのです。
性比にズレが生じた具体的な要因は大きく二つにわけられます。
一つめが、第二子の誕生を隠してしまっているということです。
夫婦の営みをする以上、いくら気をつけていても第二子ができてしまう
ことがあります。
しかし第二子が誕生した時に命じられる罰金の額は膨大です。そのため、
第二子が男の子なら罰金を払ってでもちゃんと育てますが、
女の子の場合は隠して育てようということになることがあります。
このような子は「闇っ子」(「黒孩子(ヘイハイズ)」)と呼ばれて、
学校へもいけず、法的にも保護されず、不遇の人生を歩むことが多いのです。
ただ、親からすれば女の子だから学校へいかなくてもいいだろうと考えて
このような処置がとられるのでしょう。
こうなると、国は女の子の「闇っ子」を把握できません。たとえ
うまれても人口統計に反映されないのです。そのために女性の性比が
下がってしまうのでしょう。
もう一つ別に考えられるのは、間引きです。
親は、第二子を妊娠すると、堕胎するか、育てるかの二者択一を迫ら
れます。ただ、様々な事情から中絶することができなかったり、男だったら
罰金を払ってでも育てるが女だったらわからないと考えたりして出産に
いたることがあるでしょう。
両親はそんなふうにして生まれた子供が女の子であることを理由に間引い
てしまうことがあるのです。間引くとは、つまり自分の子供を殺して
しまうということです。罰金も払えないし、「闇っ子」として育てる
勇気もない。そして殺してしまうのです。そしてそれが女性の出生が
少なくなる要因なのです。
こうしてみてみると、中国の一○○対一二一という異常な性比の裏に
潜む事情を垣間見ることができるのではないでしょうか。
つまり、ありえるはずのない数字は、中国政府が押し付けている
一人っ子政策と、それに対する国民の苦悩が凝縮されたものなのです。
男女の性比というと、特に何でもないデータのように思えるでしょうが、
たった一つの奇妙な数字にその国の矛盾があらわれていることがあるのです。
ちなみに、世界でもこの性比の数値が少し異常になりつつあるのを
ご存知ですか。
各国が発表するデータを見ると、ここ数年で男性の数が減っている傾向に
あるのです。
ただ、中国の場合と違って、原因は環境ホルモンにあるのではないかと
いわれています。環境ホルモンの問題が高まるに連れて、それが
人体に及ぼす影響から男女の性比が「自然」に崩れはじめてしまって
いるというのです。
とはいえ、まだ確実にどんな成分が男性をつくるといったことは
わかっていません。したがって、これはあくまでも仮説にしか過ぎない
のですが、もし環境ホルモンによってそこまで人体に異常がでている
のならば、本当に恐ろしい話ですよね。
今回の講義は後味の悪い終わり方をしてしまいましたが、こうして
小さなデータから様々な社会問題を読み解くことがデータを見る意義
であることを少しでも感じていただければと思います。
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アジアで体験した心に響く不思議な物語
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■インドの厠の怪
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厠について、トラウマがあります。
私は生まれも育ちも東京都です。1977年生まれ。
物心ついた時は9割以上の厠が水洗式でした。いわゆる「ボットン便所」は
一部の公衆便所と古い家ぐらいで、それをつかうことはほとんどありませんでした。
しかし、八王子に住む祖母の家はなぜかボットン便所でした。
正月に祖母の家へいく度に、一日か二日それを利用するわけですが、幼心にも、
深く暗い穴が恐ろしく思えたものです。
そんな私の心を知ってか知らずか、母がこんなことをいいました。
「ボットン便所っていうのは危ないのよ。多くの人が落っこちて、便に
まみれて窒息死しているのよ。あんたも気をつけなよ」
この話を聞いてから、私のボットン便所に対する恐怖心は益々膨らみました。
ボットン恐怖症とでもいうのでしょうか、ボットン便所を前にすると、ついつい
慄いてしまい、うまく用が足せなくなってしまったのです。
時折、糞詰まりにもなった経験があります。そんな時、どんなにか我が家の
水洗便所が恋しかったことか。
今も当時腹をかかえて出したくても出ずに孤独にもがく幼い私の姿が脳裏に
焼きついております。
あれから二十年以上が経ちました。
いつしか祖母の家のボットン便所は水洗式へと代わり、東京でボットン便所を
見かけることはなくなりました。
やがて私は外国を旅するようになりました。
海外には、実に色々な厠がありました。
ヒマラヤの村では、岩の上で用を足すと、下で豚が待ち構えていて、雲古を
喰らってくれるという便所に遭遇したことがあります。
ミャンマーでは、湖の奥とつづく橋があり、その突き当たりに小さな穴が
あいており、そこで用を足すと、湖の魚が食ってくれました。
エジプトでは、月夜の砂漠で踏ん張るという雄大な経験もさせてもらいました。
あ、そうそう、パキスタンで、遺跡そのものが村の便所として利用されている
こともありましたっけ。いわば遺跡便所。
こう書くと、えっ!と思う方もいるかもしれません。
ボットン便所ごときで不平をたれて糞詰まりになるオヌシが、そんな所で用
を足せるのか、と。
心配不要。現地の空気になれてしまえば何てことないものです。
至極開放的であり、清々しく、妖艶でもあるのです。
その昔、谷崎潤一郎が『陰翳礼賛』の中でコイの泳ぐ便所を日本美のひとつ
としたように、あるいは太宰治が『斜陽』で月見をしながら夜の庭で
雲古をする貴婦人を描いたように、古き厠にはそれなりの美と心地よさ
があるものなのです。
天の川
砂漠の便は
愉快かな
そんな詩のひとつも詠みたくなるというものです。
そんなある日、私はインドの農家に泊まらせてもらっていました。
夜になって、急に激しい便意を催し、私が便所はどこかと尋ねると、
主人は私を牛小屋の裏へとつれていきました。
木に掛かっている襤褸布をめくりあげると、地面がコンクリートで塗り
固められています。その真ん中に巨大な穴が。ここに用を足せというのでしょう。
夜空には満天の星。林からはジャッカルの遠吠え。
そこは私好みなのですが、どうしても穴が昔見たボットン便所に思え
てならないのです。なまじコンクリートで塗り固められているからでしょうか。
私は少し強がってこういいました。
「主人、なかなかだのう」と私。
「ありがとうございます」と主人。
「ところで、なぜコンクリートが?」
「雲古は肥料として取っているのです。ここは厠であり、肥溜めでもあ
るのです」
「とすると、コンクリートの下に雲古が?」
「そうです。かなり深くなっております。落ちないように気をつけて
くださいね。時々山羊が落ちて死んでしまうのです」
「山羊が……」
「一度落ちた山羊は出れませぬ。雲古の底に沈み、すぐに死んで腐って
しまうのです。山羊の中には化けてでるものもおります」
「モノノケか!」
「はっ。そうであります。夜になると、ここに沈んだ山羊が顔だけ出して、
用を足す人のケツに噛み付くそうです」
「ケ、ケツに!」
「うちの妻も、わが七人の子供もみんな噛まれております。それで一時
この便所をつかわなくなった者もおります。
「そ、そうか。そうか」
「あなた様も何卒お気をつけくださるよう……」
主人はそういって去っていきました。
私は主人の背中を見送ると、穴を覗き込みました。
ただ闇だけが深くずっとつづいています。冷たく暗い穴です。
じっとそれを見つめていたら、不意におかしくなって笑い出しました。
かつて祖母の家で糞詰まりになったことを思い出したのです。
たぶん、私ばかりでなくインド人もまた「厠の底に落ちて雲古にまみれ
て死ぬ」という恐怖心をもっているのでしょう。
だからこそ、主人の家には「厠に沈んだ山羊が化けて出てくる」なんて
いう怪談が生まれたに違いありません。
結局、世界ひろしといえども、便所について人間が抱く想像力なんて変
わりがないのでしょう。形こそちがえ、みんな同じようなことを考えて、
慄いて、糞詰まりになっているのかもしれません。
そう思うと、おかしくて仕方がなかったのです。
私は月夜の厠で思う存分腹を抱えて笑ってから、用を足すことにしました。
さて、その後私がここで糞詰まりになったか否か。
それは読者諸氏の想像に任せることといたしましょう。
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世界を知る名作
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■インドへ(横尾忠則)
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少し前に、読者の方から以下のようなメールを頂きました。
「旅の人気本は『インドへ』横尾忠則さんかと思ってますが、『物乞う仏陀』
も加わりました♪」
『インドへ』を読んだのはかなり前だったので内容を忘れていました。
それで昨日久々に読み直したのですが、なるほど面白い。
外国についての本で面白いものには、かならず「わかるな〜と思える文化の差」
が描かれているものです。
ポイントは、この「わかるな〜」という部分。
『インドへ』からその箇所を挙げてみると、たとえば以下があります。
【引用】
(インドに到着して、タクシーでホテルに向かう時)
相手は、いきなり五十ルピーとふっかけてきた。日本円で千七百円、
彼らの一週間位の生活費だろう。(中略)僕は三十ルピーを提示した。
結果は交渉決裂である。しばらくお互いの間に沈黙が続いた。
僕は内心いよいよインドに来たぞ、という実感に体が熱くなってくるのが
わかった。
まもなく助手の男がいきなり、
「オマンコは好きか?」
とオマンコの部分を日本語でいった。
「ノー!」と答えると、
「どうしてだ?」
と切り返してきた。どうしてだ? というのも変な質問だが、相手にすれば、
僕のノー! という返答こそ不思議に思えたのかもしれない。
変な引用ですみません……
もう一つ引用をしてみましょう。
【引用】
(車で移動中)
道に男が轢(ひ)かれて長くなって死んでいた。(中略)その傍らに
連れの男が一人しゃがんで、困った、困った、というような表情をしていた。
死体の周囲に小さな石ころを並べて、再び車が轢かないようにしているのだろう。
われわれの車はもちろん、どの車も、止まってこの哀れな男どもを助け
てやろうとはしない。ぼくは助手席に坐っているガイドのサニーさんにいった。
「人が死んでるじゃない!」
「ああ……」
とサニーさん。
「見たの?」
「うん、死んでいたね」
「……?」
「轢かれてたのでしょうね」
「……」
「おなかすいたでしょう。間もなくアグラに着きますよ」
全くお話にならない。死と食うことが同じレベルで存在しているのだ。
おそらく二つの【引用】を読まれた方は「わかるな〜と思える文化の差」が
あったと感じたんではないでしょうか?
インドへ行ったことのある方も、またそうでない方も、作者が読み取った感覚に
対して<わかるな〜>と思えるかどうか。
ここが面白い本か否かということになってくるのではないでしょうか。
『インドへ』には、こうした<わかるな〜>がたくさん含まれています。
<わかる>を切り取れるかどうかはその人の才能でしょう。
横尾忠則さんは画家ですが、一流の旅行記を書ける背景には、絵にも本にも
通じるその才能があるからこそなんでしょうね。
ちなみに、<わかるな〜>の一番の天才は、ヒッチコックだと僕は思っています。
まっ、その話はまたいつか。
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今週のコラム
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■創刊準備号について
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創刊準備号をご覧になっていかがだったでしょうか?
どういうメルマガなのか大体おわかりになりましたか?
メルマガでは、ノンフィクションに関係のあることを書いていくつもりです。
役割的には、拙著の裏バージョンですね。
拙著の内容を抽象的に書いたらどうなるのか。
もしくは、その裏にあるデータはどういうものがあるのか。
本にしなかった逸話や、削除した原稿はどういうものなのか。
そういうことを記していくつもりです。
このメルマガを読むことによって、少しでも世界を別の角度から見て、何かを
考える切っ掛けにしていただければと思います。
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【ウィークリーまぐプレ 創刊準備号】 (毎週木曜発行)
配信中止はこちらから→ http://***
発行者 :石井光太
メール :postmaster@kotaism.com
サイト :http://www.kotasim.com
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